![]()
−勝連・今帰仁編−
| 平成 13年 |
1月7日 勝連城 | 1月8日 今帰仁城 | 1月9日 識名園 |
| 目次 | PART 1 1.自分を見つける旅 2.コザへ 3.サンエー中の町店 4.勝連の阿麻和利 5.コザの夜 |
PART 2 6.名護へ 7.本部半島線 8.世界遺産・今帰仁城 9.高速バス111番線 10.ホテル サン沖縄 11.沖縄に住みたい! (ヤンバルクイナ氏の話) |
PART 3 12.市内バスNo.5識名線 13.世界遺産・識名園 14.沖縄・九州・北海道 15.波の上ビーチ 16.再び、サン沖縄 |
| 交通 | 福岡→(JAL921)→那覇 →(124番線)→コザ →(27番線)→勝連 →(27番線)→コザ |
コザ→(名護東77線) →名護→(66番線) →今帰仁→(65番線) →名護→(高速バス111番線) →那覇 |
那覇→(市内バス5番識名線) →識名園→(5番線) →波の上宮→那覇バスターミナル →(バス)→那覇空港 →(JAL924)→福岡 |
はじめに
1月7日より三連休が取れたので、沖縄に行ってきました。昨年10月の和歌山・姫路旅行以来体調を崩しがちで、久し振りの旅となりました。
今回の旅は、12月半ば風邪に気管支炎を併発した中、前日の睡眠不足も重なって、最悪の体調で旅に出ました。
しかし、私は沖縄のコセコセしない大らかな風土が好きです。昔過ごした南米を思い出させるようなところもあります。
PART 1 1月7日(日) 勝連城
1.自分を見つける旅
今世紀最初の旅は沖縄へ。1月は寒く九州以北では旅には適さない季節だが、沖縄は春のような気候だ。
ところが、昨年末より体調を崩してしまった。1月7日は朝5時40分頃起床。3時間ほどしか寝ておらず、体調は最悪で咳も出る。6時25分に家を出てバス停へ。6時42分発のバスに乗る。バスの中でも咳が時々出る。定刻の7時40分頃に福岡空港第二ターミナル着。
今回はN旅行社のビジネスパックを利用し、JAL便となった。自動チェックイン機で搭乗手続を済ませ、右窓側の席を確保する。三階のパーラーで朝食を取る。
搭乗口に入り、JAL921便へ。機材はボーイング767(B6)。座席は2列、3列、2列の構成で270席。スーパーシートもあり、中型機といったところか。パーソナルモニターはなく、中央に大きなプロジェクターと、所々座席の上方にCRTのモニターが設置されている。
窓からの眺めを楽しみにしていたが、雲がかかりまったく地上は見えない。残念だ。咳は相変わらず出ている。そうしているうちに、那覇空港に到着する。
2.コザへ
飛行機から出ると暑い。薄手のハーフコートを脱ぐ。外に出ると沖縄もまた雨だ。124番線のバスがやってくる。行先を見ると、コザまで行くようだ。今日は勝連城を見学し、コザに宿泊する予定だ。迷わず乗車する。
バスは発車する。だんだん蒸し暑くなってきてセーターも脱ぐ。冬物のズボンを着ているため下半身も汗ばむような感じだ。バスは那覇バスターミナルから国際通りに入り、安里バス停から沖縄西海岸に近い道路を行く。(昨年は首里を経由して沖縄本島の中央部から普天間まで行った)激しい雨と強い風が吹き道ゆく人の傘も吹き飛ばされそうで、台風のようだ。
咳が段々激しくなってきて苦しい。このまま無事コザまでたどりつけるだろうか? 悲観的な気持ちになってくる。相変わらず激しい雨が降る。那覇市内の交通は渋滞し、体調の悪さと併せて一層気持ちが落ち込んでくる。バスが停留所に寄る度にガイドブックのマップを見て、位置を確認する。
浦添市に入ったあたりから渋滞も解消し、宜野湾市あたりからはスムーズに進む。途中見覚えのある風景に出る。左手には昨年入浴したJA天然温泉アロマの看板が出ている。このあたりから東に向い、普天間へ。
昨年はタクシーで温泉からタクシーで普天間バス停へ行き、親切な運転手さんが「ここからでも那覇行きのバスに乗れますよ」と途中で降ろしてくれた。ちょうどこのあたりだったようだ。昨年は夕暮れ時で気がつかなかったが、左手には米軍基地が広がっている。そういえば、今日乗っている124番線は昨年那覇へ戻ったときの路線だ。
バスは普天間からコザへ抜ける。目的地に近づいたこともあり、やや元気を取り戻し、心なしか咳も軽くなったような気がする。沖縄市内に入る。コザは1974年に沖縄市に名称を変更したが、今でも“コザ”の方が一般的なようだ。やがてガイドブックの市内地図に見えるバス停が出てくる。諸見、園田と進み、やがてホテルに近い中の町バス停で下車する。外に出ると不思議と咳が軽くなる。バスの中の空気が悪かったのだろうか? 空港で乗車してから1時間20分かかった。外は霧雨になっている。
3.サンエー中の町店
下車して道を渡ると、サンエーというスーパーがある。道を右に進むと京都観光ホテル、サンライズホテルと続き、その次ぎが宿泊するホテルC。中に入ると、正面に少し下る階段があり左手には下りスロープがある。スロープの方に「→フロント」の表示があるので、降りていくが、階段を進んでもフロントに行けたようだ。奥に小さなカウンターがある。ちょうど団体が出発するところのようだ。名前を言って荷物を預かってもらう。
体調も悪く、部屋で休みたい気もするが、チェックインは午後4時から。せっかく勝連城を見にコザまでやってきたことだし、外に出る。サンエー中の町店の中にマクドナルドがある。ここで昼食を取るが、食べ終わってみると、激しい雨だ。これでは外に出られない。30分ほどサンエーの中をぶらぶらする。
スーパーサンエーは、1階が家庭用品売場、エスカレーターを上がると2階は駐車場。3階は婦人服、4階は紳士服その他、5階は100円ショップや軽食コーナーにゲームコーナー。5階建の途中の階に駐車場が入り込み、やや変則的な作りになっている。
なかなか雨は小振りにならない。サンエーの中には安い傘は売っていないようだ。道の反対側に渡り、小さなコンビニでビニール傘を購入しバス停へ。27番線のバスに乗車する。
4.勝連城
27番線のバスはコザの中心街を抜けて、具志川市へ。北へ向かっているようだ。目的地の勝連城は、コザの北東に位置し、北東へ直進する路線があれば早いのだろうが、一度北へ向い、それから東へ廻るような形になる。途中運転手さんは、車内で飲食していた女子高生に注意している。硬派の運転手さんのようだ。40分ほどで西原バス停へ。
下車すると雨はほとんどやんでいる。少し道を後戻りすると「勝連城」の標識が見える。左へ進むと小高い丘の上に突然に沖縄特有の曲線を描く城壁が見えてくる。近づいていくと左手に坂道がある。入口かと思い、進むが病院への侵入路だった。戻ってさらに進むと入口がある。長いスロープを上ると広場があり、右手の丘に勝連城が見える。
勝連城三の郭 三の郭へのスロープ
(工事中)
世界文化遺産に指定されたためか、修復工事を行っているようで、やや足場が危うい仮設スロープを上り、城壁の中へ。
悪天候だが、私以外にも見学客がいる。まずは三の郭。その先は一段高くなり石段がついおり、礎石が見える。建物があったようだ。ここで見学客のおばちゃんに話しかけられる。
「本土からいらっしゃいましたか? 沖縄はあまり見るところがないでしょう。こちらは暑いですか?」と言われる。私は
「福岡からグスクを見に来ました」と答え、さらに「沖縄には特有の文化があって僕にはとても興味深いです。福岡も暖かいといわれますが、沖縄に比べると寒いですよ」と続ける。おばちゃんは
「学生さんですか?」とおっしゃる。私も30半ばを過ぎ、そろそろ良い年なのだが、まだ学生に見えるのだろうか? ちょっぴり嬉しかったのは、年をとった証拠だろうか?
おばちゃんは高いところが苦手で、ここで連れの方を待っているそうだ。
ニの郭の建物礎石 三の郭よりニの郭、一の郭を見る
確かに今日は雨天で足場が悪い。私も用心して一の郭へと登る。かなり高い場所に位置して、太平洋が良く見える。昨年訪れた中城城と思われるあたりも見える。こうして見ると、意外に近い距離のようにも思える。
一の郭には勝連城の説明版がある。勝連城は、中城城を築いた護佐丸の孫娘の婿・阿麻和利の居城だった。(護佐丸の娘は首里王家に嫁ぎ、その娘が阿麻和利の妻となった) 阿麻和利は、領民に圧制を強いた9代城主・茂知月に代わって城主になった。なかなかの名君だったようで、貿易により勝連は富み、その繁栄ぶりは鎌倉に例えられたそうだ。阿麻和利は護佐丸を滅ぼし、その勢いを駆って首里に闘いを挑んだが、無残にも大敗し滅ぼされた。(護佐丸・阿麻和利の乱) この乱は、琉球の統一を果たした首里王家の基盤が固まっていなかったことを示すものともいわれる。
首里王家に忠誠を尽くした”忠臣”護佐丸に対し、阿麻和利は”裏切り者”と見られることもあるが、”肝高(きむたか)=気高く、度胸がある”と評され、領民からの評判は良かったようだ。沖縄古謡集『おもしろさうし』には次ぎのように詠われている。
勝連は なおにきや 例える (勝連はなんに例えようか)
大和の 鎌倉に 例える (大和の鎌倉に例える)
又 肝高(きむたか)は なおにきや (又気高き勝連は何に例えようか)
勝連の 阿麻和利 (勝連の阿麻和利)
ちひやくさ ちよわれ (千年も万年もこの国を治めよ)
又 肝高の 阿麻和利 (又気高き阿麻和利)
又 勝連と にせて (又勝連にふさわしく)
又 肝高と にせて (又きむたかの名にふさわしく)沖縄古謡『おもろさうし』より
勝連城は海の近くの丘に位置し、九州以北の城の形式に例えれば「平山城」と言えるだろう。特に水上交易の拠点に位置し、経済面を重視しているところは、琵琶湖に面した織田信長の安土城や、宇和海に面した宇和島城に良く似ている。あるいは商業都市博多に隣接した福岡城も発想は似ているのかも知れない。
沖縄の城は必ずしも海岸近くにあるというわけでもないが、経済の基盤が公益に置かれていたことから、自然に海の近くで交易に便利、しかも防御し易い丘の上に築かれることが多いように思う。
一の郭への石段 一の郭 三の郭から降りる。あたりには石垣の遺物らしきものが散乱している。城壁の反対側も小高い丘になっており、上ってみるが途中で石段が途切れており上に行くのを断念する。
長いスロープを降り、入口にある説明版を見ると、最盛期の勝連城の予想図が描かれている。スロープを上った広場が四の郭だったようだ。今は荒れ地になっているが、当時はきれいに整備され、樹木で被われた土地にも建物があったようで、正面には海岸へ通じる道と門があったようだ。城壁の反対側の高台は東の郭で、かなり広い面積のようだ。こちらにも通用門が設けられていたようだ。
城の規模としては昨年見学した中城城の方が広いように思う(特に一の郭、二の郭、三の郭)。だが、四の郭や東の郭を加えれば、勝連城もかなりの広さを持つように感じた。
勝連城見取図
5.コザの夜
27番線のバスでコザへ戻る。ホテルに直行しチェックイン。部屋とユニットバスはまずまずの広さだが、目の前に隣りのホテルが迫っているのが残念。ユニットバスにお湯をためてゆっくりと浸かる。今日は体調が悪かったせいか、風呂に入りゆったりしすると、生き帰ったような気がする。咳も止まる。
このあとしばらく休む。昨日の睡眠時間が少なく風邪をひいていることから少しでも休みたいのだが、なかなか眠れない。そうしているうちに8時すぎになる。
眠れないので、コザの町を歩いてみる。このあたりは町の中心というわけでもないようだが、夜の繁華街のようだ。国道沿いに歩いてみると、アメリカングラフィティに出てくるようなレストランも見える。その一方で、ディスコには「アメリカ軍関係お断り」の表示も見える。コザは基地の町とも言えるのだろうが、いろいろと難しい問題もあるようだ。さらに進むとメキシカン・ステーキハウス・リマという店がある。南米を思い出させる名称だ。
ホテルへ戻り、10時過ぎに就寝。今夜はぐっすりと眠る。