| 『ちゅらさん』を想う | 『ナビィの恋』の小さな感想文 |
++ 沖縄note ++
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2001年7月14日 大野城まどかぴあにて
遅れ馳せながら、という感じで映画『ナビィの恋』を見てきた。『ちゅらさん』のおばぁ役で全国的な人気者になった平良とみが主演を務める。『ちゅらさん』の画面を引き締めているのは、なんといっても平良とみの圧倒的な存在感とナチュラルな演技だと思う。
おそらくこの映画の出演が平良とみのNHK朝ドラ出演につながったのではないかと思う。最初は固辞したそうだが、出演して良かったと思う。これほど沖縄の豊かな精神性を感じさせる俳優もいないのではないか。こんなに素晴らしい女優なのだから、全国的に知られる機会ができて良かったと思う。
沖縄に心惹かれながらもその文化(映画・音楽・演劇など)に無知だった私だが、『ちゅらさん』をきっかけに6月には藤木勇人のひとり芝居を見るために東京遠征まで決行してしまった。
まず、身近なところから沖縄をテーマにした作品に親しもう、また平良とみが主演しているということで、見てきました。
『ナビィの恋』……沖縄を舞台に映画を撮りつづける中江裕司監督の第三作。1999年製作・公開。沖縄の映画としては記録的な大ヒットを記録。いわゆる大資本製作の映画ではないが、作品の良さから次第に人気が広まり、キネマ旬報邦画第2位の評価を受けた。沖縄の人々にも、沖縄好きの人々にも、そうでない人々にも支持を受けている。この映画がきっかけで沖縄に興味を持つようになった人も多い。
主演の平良とみは、この映画の出演がきっかけで、『ちゅらさん』に出ることになったのでは……とも思う。
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物語は東京で働く奈々子(西田尚美)が祖父母の住む沖縄・粟国島に帰郷する場面から始まる。島に向かう船には白いスーツを着こなした老紳士・サンラー(平良進)も乗っている。なぜかサンラーが気になる奈々子……。彼は奈々子の祖母・ナビィの昔の恋人だったが、ユタの宣託により引き裂かれ、ブラジルに渡っていたのだ。
奈々子が祖父母の家に戻ったシーンが印象に残る。庭には色鮮やかな花が咲いている。ロープが張られ、白い洗濯物が干されている。なぜか絵になっているシーンだ。余談だが、以前沖縄に行ったとき、北海道からきた方が、「島は良いよー、島に行きなさい」と言っていたことを思い出す。このシーンを見ると、その言葉の意味の一端がわかったような気がした。
映画では、祖父・恵達役の登川誠仁が心に残る。沖縄民謡の第一人者だが、俳優は初めてだという。だが、それが信じられない程の演技と存在感を見せる。この映画の主人公はナビィでもなく、奈々子でもなく、登川誠仁演じる“恵達”のような気がする。
里帰りした奈々子に、いきなり「妊娠したのか?」と話しかける場面。かなりシリアスな話題であるはずなのに、淡々としている。奈々子と同じ船で島に訪れたヤマトンチュ・福之助(村上淳)に「胸の小さな女の子も良いよ」と暗に奈々子を勧めるシーン。セリフ以前に、存在自体がなにかを語りかけているような気がする。
「サンラーを島から追い出せ、さもないと家が滅びる」と告げたユタに、ナビィと共に許しを乞う恵達。人を好きになるということは、独占したいということでもある。しかし恵達はナビィと一緒になってサンラーの追放を止めるよう懇願する。独占するだけの愛は、所詮は自己満足で、自分も相手も不幸にしてしまうのかも知れない。恵達のような“与える”愛情感覚の方が、実は穏やかで優しい人生を送れるのだろう。ナビィを送り出し、淋しいかもしれないが、幸福にしてあげられたという満足感はあるだろう。だが、これはなかなかに至難の業でもある。
ナビィのために牛を売ってマッサージ椅子を購入する恵達。ナビィがサンラーと去って行くことがわかっていたのではないだろうか。そうだとしたら、残された時間の中で、ナビィにできるだけのことをしてあげたいということなのだろう。あまりに優しく、悲しい。
ナビィが去り易いよう、わざとランチを奈々子に届けさせる恵達。そして最後のランチに込められたナビィの気持ち……。サンラーと恵達が言葉を交わす場面も印象的だ。三線で「女達はあなたが頼りです」とサンラーにナビィを託す恵達。恵達は、若かりし頃のサンラーとナビィの恋の場面を知っている。いつか、サンラーが帰ってきて、ナビィを連れ出す場面を、漠然と心に描いていたのかも知れない。
それにしても、60年間相手を思い続けたナビィとサンラーもすごい。映画の始めの方で、再会する二人。サンラーが島を追われた後、サンラーの家の墓を守り続けたナビィ。「60年経った今でもあなたの匂いは変わりません」というナビィ。
だが沖縄と、サンラーが過したブラジル(南米)という風土からすれば考えられないことでもない。私はブラジルには行ったことはないが、ペルーには半年ほど住んでいたことがある。中南米という風土には人の感情の歯止めを外し、ストレートな情動を呼び起こす力があるような気がする。人間の偉大さも、愚かさも、共にスケールが大きい。
良くも悪くも日本で生活するということには一定の枠組があり、喜びも悲しみもその中に収められる。だからこそ秩序だった住み易い社会が形成されるわけだが、それは人間が本当に幸福に生きるということなのだろうか。
さて、恵達は優しいばかりではない。ユタの「奈々子は(幼馴染の)ケンジと結婚しろ、さもないと家が滅びる」という言葉に従わず、福之助と結びつけたり、あえてナビィをサンラーのもとに帰したり、絶対的な権力を持つはずのユタに結構逆らっている。そういえば、若かりし頃、サンラーと引き裂かれ、柱に縛られていたナビィの縄をほどいたのも恵達だった。
沖縄の穏やかな風土の中の紛れもない一つの部分であるユタ。社会の構成上必要不可欠なものだったのかも知れないが、人々を縛り付けてきたという側面もあるのかも知れない。恵達は旧来の習慣に縛られない自由な感覚と強さも持っているように感じる。これには中江監督の意図も強く感じられるような気がする。
ラストのカチャーシーの場面もまた印象的だ。奈々子と福之助の婚礼の場面から、二人の間に子供が生まれ囲まれるシーンに飛ぶ。ナビィはいなくなったが、若夫婦と曾孫に囲まれ、幸福そうな恵達。そして古い習慣から解放された東金城家。ラストの登川誠仁の歌と演奏は、沖縄の音楽にはまったくの素人の私にも響いてくる。
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この映画では、恵達、ナビィ、サンラーを中心に、人間の心の底にある深い情動が描かれる。それは、普段の生活を穏便に過すために抑えがちなものでもある。それは人間性を抑え込んでいることだろう。
ヤマトが人間性を抑え込み、沖縄には解き放つ力がある、という単純な図式で考えることはできないだろう。沖縄に住む人々の心の中にもまた抑圧があるはずだ。
だがこの映画では、そういったものを解き放つ開放感があり、それは決して人を攻撃したり傷つける方向には流れて行かない。(ここには登川誠仁の存在が効いているのではないかと思う) そんなところが多くの人を魅了しているのではないかと思った。
また、中江裕司監督の沖縄に対する見方も興味深く思う。監督は京都の出身で大学時代より20年以上沖縄に住んでいる。沖縄については当然良く知っていて、それと同時に本土出身ということで外から見た目も持っている。福之助には中江監督の思いが込められているように思うし、福之助への恵達の接し方に、監督の理想(本土出身者と沖縄の人々の関係)のようなものがあるのかも知れない。
『ちゅらさん』を想う 『ナビィの恋』の小さな感想文