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2001年6月27日
in横浜
2002年1月31日
in具志川



藤木勇人・ひとりゆんたく芝居を観る
〜南風世果報便り〜
2001年6月27日in横浜



このページでは文章の形式上、藤木勇人氏への敬称を略しています。何卒御了承下さい。


1 はじめに

 沖縄を初めて訪れたのは二年前(1999)の一月のことだった。首里城を見てみたいという軽い気持ちだったが、沖縄の風景は私が昔滞在していたペルーを思い出させた。
 それから、訪れる度にごく普通の町の風景や雰囲気、人々の人懐っこさ、大らかさなど、次第に心惹かれるようになった。
 さて、今年4月から始まったNHK朝ドラ『ちゅらさん』。沖縄を舞台にしたこのドラマは、歴代朝ドラの中でも一番好きなドラマだ。
 えりぃの国仲涼子、おばぁ役の平良トミなど沖縄出身の俳優が多く出演するが、地味ながら重要な役割を果たすのが、沖縄料理店”ゆがふ”の店長役を務める藤木勇人。”ゆがふ”は東京の中での“沖縄”の空間を作り出し、東京に出てきたえりぃの支えとなる空間になっている。そこには、藤木勇人の暖かく人懐っこい雰囲気が重要な役割を果たしていると思う。
『ちゅらさん』のホームページを見て、さらに藤木勇人について検索してみると、藤木の経歴や今までの活動などがわかってくる。さらに、熱心に応援している人たちがいることも。
 藤木勇人は昭和36年(1961)、沖縄県コザ市(現・沖縄市)に生まれる。郵便局に勤めながら、「笑築過激団」や「りんけんバンド」で活動。1993年からは独立し、沖縄の文化・社会・風土をテーマにした、ひとり芝居を始める。沖縄のみならず、東京、福岡、広島などでも公演を行い、その活動が『ちゅらさん』出演と沖縄ことば指導に結びついたようだ。
 藤木自身が自分の活動について書いた文章を読むと、ひとり芝居を通じて沖縄の文化や風土を伝え、県外公演も積極的にこなし外に向かって活動している。単に文化を伝えるというだけでなく、その中になにかがあるような気がする。藤木勇人は、ひとり芝居を通じてなにを表現し、なにを伝えようとしているのだろうか?
 それに、藤木には以前から熱心なファンがおり、どの方も真剣に舞台を見て、真面目にコメントし、応援しているのがわかる。このような人々に支えられた藤木勇人とは一体どんな人なのだろうか?
 私自身は藤木勇人の舞台を通じて何を見ようとしているのだろうか……。

2 横浜

 6月27日、久し振りに横浜へと向かう。十年ぶりくらいだろうか。関内駅で降りて横浜球場の横を抜けて海の方へと向かう。夕方5時半を過ぎ日は傾いているが、まだまだ暑い。仕事を終えて帰宅する人々が駅へと向かっている。関内から海にかけての地域は規則正しい碁盤の目のような区画になっており、幕末から明治にかけて横浜が形成されたときの面影を残しているように感じた。
 神奈川県民ホールには6時頃到着する。福岡から見に来たのだから良い席で見たいと思い、開場一時間前の到着を考えていたのだが、出発前に手間取り予定より30分遅れてしまった。
 受付では電話予約をし、チケットを購入する人の列と、当日券を購入しようとする人の列ができている。ロビーには立川志の輔より贈られた花が飾られていた。
 そうしているうちに会場へと向かう階段のところに列ができていて、私もあせって並ぶ。やがて係りの方が誘導されて席へと向かう。前から三列目の席を確保する。
 席についた頃はまだまばらだったが、後から人が増えてきて、開演前にはホールが一杯になり、立ち見の人も出ていた。係りの人が空席を探しているが、それでも席は足りない。テレビの影響は大きいのだと思う。

3 ひとりゆんたく芝居

 やがて会場が暗くなり、舞台に人が出てくる。自然に拍手が湧き起こる。舞台に照明があてられる。藤木勇人だ。至近距離で見ることができて嬉しい。いろいろ理屈をこねていても、このあたりは我ながらミーハ−だと思う。やや派手なゴーヤー模様のシャツにチノパン、サンダルというスタイルだ。
 藤木はまず、立見をしている人のために空席があったら、教えてくれと言う。「こんなに入るんだったら二階席を作っておくんだった」と言って会場を笑わせる。そして今日の公演会場がある横浜について話す。この土地で日本で初めてパンが作られ、ビールができた。時代は流れてもやはり、街を歩くとその頃の雰囲気が残っていて、受け継がれている部分があるという内容だったと思う。このコメントは藤木の舞台に対する考え方と大きく関わっているような気がして印象に残った。
 続いて沖縄のことばがどうしてのんびり、ゆったりと聞えるのか話し始める。藤木によれば、暑さのため、言葉の語尾が流れるためだという。良く語尾に「さー」をつけるというのもこの例になる。藤木は「流れる」というよりも「言葉が“溶ける”」と表現していたのが沖縄の夏の暑さを体感させるようで印象的だった。
 さらに、普段の何気ない生活の中で例をあげて話す。賞味期限内なのにかびがはえているパンに対して、「賞味期限前なのに、かびが生えている」と怒り、パン会社に苦情の電話をしても、怒りをまきちらし、自分も周囲の人も不快にするだけだ、というような内容の話をする。藤木は「沖縄のオバァだったら、“早く食べないからさー”で終ってしまうだろう」と言う。本当に私達はごくごく些細なことでとげとげしくなってしまっているのかも知れない。もっと大らかになれば普段の生活も楽しくなるだろうに。
 なんだか、このあたりに藤木勇人の人柄が出ているような気がする。『ちゅらさん』の母親役で出演している田中好子もホームページで藤木について「いつも暖かくて和ませてくれる」とコメントしている。私も普段から精神的に余裕のない生活を送っており、藤木勇人の発散する大らかさを必要としているのかも知れない。
 そしていよいよ一人芝居が始まるが、あれれ、舞台上で着替えている。その間も“ゆんたく”は続く。

 さて、一本目の演目は沖縄・宮古地方を舞台にした大酒飲みの話で、これは落語を沖縄風にアレンジしてできたものだそうだ。藤木勇人は”笑築過激団”や”りんけんバンド”で活動した後、一人芝居を始めたが、そのために落語家の立川志の輔に弟子入りした。志の輔は藤木が 30歳を過ぎていたことから弟子入りを受け入れるのをためらったそうだが、熱意に負けて認めたという。
 それにしても経歴が示すように沖縄ではかなりのキャリアを踏んでいたし、りんけんバンドは全国的にも知られている。それだけ積み重ねたものがありながら、30を過ぎてから一から学ぼうというのは、よほどの決意があってのことだと思う。
 さて、舞台の方は、大酒飲みが、小遣いをもらうために、三合の泡盛を飲み干すという内容だが、泡盛を注ぐときの藤木の表情が様々に変化する。器に注がれる音も擬声で表現されているが、それと相乗効果をあげて臨場感が感じられる。前方の席を確保できて良かった、と思う。

 この芝居は落語の演目の舞台が沖縄に移しかえられている。藤木は同じ演目であっても、沖縄の風土に移しかえると、また違った味わいが出てくるという。確かに沖縄独自の対人関係の雰囲気が良く出ていて、沖縄の言葉とあわせて独自の感じが出ている。沖縄の風土に移しかえると落語もまた味わいが変わるが、落語は江戸時代の人情話であり、温もりのある雰囲気という点では沖縄の風土と親和性があるのかも知れない。

 次の演目は、間違い電話をテーマにしたものだが、その前に、藤木は再び着替え、今度は背広を身につける。舞台の前の方に座り、メークを直す。ペットボトルの水(?)で喉を潤しながらジェルのような整髪料を手にとって髪型も変える。その間もゆんたくは続く。藤木勇人は舞台という場の中で自分自身を表現することに徹しているようだ。

 髪型と服装からして真面目で小市民風の人物が演出されている。間違い電話に悩んだ主人公が、時にユーモラスに、時に冷たく対応し、留守電の内容もあれこれ替えて笑いを誘う。電話をかけた側の留守電に対する反応も様々。この演目は現代的なテーマで、特に沖縄にこだわっていないようだった。(細部を見れば、沖縄らしさが反映されているとは思うが)

 そして最後の演目は「黙認耕作地」。藤木は再び着替える。今度は農夫の服装だが、心なしかズボンのウエストが苦しそうに見える。私も最近、以前からはいていたズボンが苦しくなって困っており、どうしてもそのあたりに目がいってしまう。藤木も最近は太り気味なのだろうか? それとも、もともとサイズが合っていないのだろうか? そしてメークも変える。今やトレードマークとなった感のある髭を白くし、今度は老人に変わる。
 黙認耕作地とは、米軍基地内に地元の人たちが入り、畑にしてしまい、米軍も認めてはいないが、あえて追い出そうともしていない土地のことを言う。物語は老人と耕作地に入ってきた若者を軸として、米軍機や野犬が絡む。藤木は老人一人を演じ、若者に話かける形で展開する。老人の言葉から沖縄の置かれた状況、嫌でも米軍基地と付き合っていかなければならない社会に生きる人間が描き出される。現代の沖縄が抱える負の部分を描き、三つの演目の中では県外者が関心と興味を持ち、私のような初心者にもわかり易い内容だった。

 舞台は幕を閉じる。藤木は最後に「質問はありませんか?」と観客に問いかける。特に質問は無く、藤木は「横浜の人は沖縄と同じでシャイな人が多いですね……」と言い、舞台を降りる。
 各演目の間には、映画『ナビィの恋』についての話しや、『ちゅらさん』での沖縄ことば指導の話もあり、大変興味深かった。『ナビィの恋』は、沖縄のおばぁ達が熱心に見ていたという。藤木説では、昔思いを遂げることができなかった、若かりし頃の恋のことを思い出して、平良トミの主人公の行動に自分の願いを重ねているのだという。また、『ちゅらさん』のことば指導は、相当に重圧があったようだ。うまく沖縄のしゃべりの雰囲気を出せなかったら、沖縄に帰れないと思った、と冗談めかして言っていた。

4 舞台の後

 ロビーに出ると藤木勇人は作務衣のような服に身を包み、黙々と本にサインをし、ファンと静かに言葉を交わしている。二時間を越える舞台を休む間もなく務め、相当に疲れているはずなのに……。その姿には芸能人的な雰囲気は感じられず、ごく真面目で慎ましやかだった。藤木勇人の素顔がうかがわれるような気がした。観客もアンケート用紙に一生懸命記入していて、スタッフも丁寧に応対している。私もそんな様子を見ていていつまでも立ち去り難く感じていた。

 再び関内駅まで歩き、JRで新宿へと戻る。今日のひとり芝居に初めて触れて、藤木勇人の世界をどれだけ理解できたか、というと自分でも自信がないが、一つの魅力のある世界を知ることができて良かったと思う。テレビの「ゆがふ」店長役は、まぎれもなく藤木勇人の一つの顔であること、だがそれは彼の奥深い世界のごく一部だったということだ。
 電車の中で藤木勇人の本『うちなー妄想見聞録−藤木勇人のラビリンスワールド−』を開く。内容は、ひとり芝居の台本と、解説(各台本の前後のプロローグとエピローグ)が主になっているが、この解説の部分では藤木は率直に自らの考えを語っている。かなり真面目な文章で(当たり前かも知れないが)、誤って伝えられることの多い沖縄の情報を正しく伝えたいという内容が随所に見られる。
「天から赤猫」のプロローグの中に“ひとり芝居は自らを再確認するために行っている”という内容の部分がある。それが、あの舞台を支える芯のようなものになっているのではないかと思った。藤木自身も自分のひとり芝居を“自分は何者なんだろうと思いながら見たり聞いたりしてもらえば光栄だ”と述べている。そういえば、私自身も舞台を振り返ると、自分のアイデンティティを問われているような気がした。私がどうしても藤木勇人の舞台を見てみたいと思った最大の理由はそこにあったのかも知れない。
 個性の強い文化は内向的になることも多いと思うが、藤木は外に向かい、沖縄の文化に対する理解を広めようとしている。それには、必然的に言葉や表現の面で、問題を内包することになると思うが、そこに苦心しつつ活動を続ける藤木勇人をこれからも見続けていきたいと思う。

 

 ひとり芝居を見て一週間ほど経つが、東京まで見に行って良かった、楽しかったと、つくづく思う。生きていく上で、なにか感動することに触れるのは大切なことであり、必要不可欠なことだと思う。私の場合はそれが藤木勇人のひとり芝居だったということで、この感動はお金にかえることはできないだろう。
 最近のテレビ等では人をけなしたり、馬鹿にしたりしての笑いが多いように思う。しかし藤木勇人の笑いは優しく暖かい。沖縄の空気の温もりを感じさせる。
 あの舞台の雰囲気に触れたことは、心の栄養になったような気がする。

2001年6月27日
in横浜
2002年1月31日
in具志川